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希望の国のエクソダス ~ コミュニケーションについて考えた

「村上龍の希望の国のエクソダス、中学生が北海道に街を創るんだよ。

読んで非常にわくわくした。

北海道のこのあたり(千歳市~恵庭市~札幌市~江別市)が舞台なのに、

案外みんな知らないんだよね。読んでみたらいいよ」

という、お勧めもいただきまして、希望の国のエクソダスを読んでみました。


希望の国のエクソダス (文春文庫)希望の国のエクソダス (文春文庫)
(2002/05)
村上 龍

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私がとても印象に残っているのは、

コミュニケーションとは何かということです。

学校に行かなくなった中学生たちは、教育の改革・既存の社会の改革、

つまり新しい社会を求めているのに、

大人たちは、既存の概念、考え方に固執して、

彼らとコミュニケーションがとれない。

そういうシーンがたくさん出てきます。


自分の既成概念が邪魔して、新しいことを考えている人たち、

自分とは属性の違う人たちと、わかりあうことができないというのは、

会社のなかでも、案外起こっていることだと思うのです。


もっとも印象に残っているのは、p171の記述です。

中学生たちが改革のために具体的に行動を起こしはじめ、

主人公の週刊誌のフリー記者が自分のことを振り返るシーンです。


====================

政財界の悪口、日本がこんなになってしまっていったいどうしてくれるんだという

愚痴のように甘えた記事ばかりだった。

日本経済の停滞と聞きは自分以外の誰か他の人間たちにすべての責任があるのだ

という記事の作り方だった。

そして実際に自分たちにはなんの責任もないと思っていた。

責任を負うべきなのはアジアの国々やロシアやブラジルやユーロやヘッジファンドや

アメリカ政府であり、あるときは日本政府や銀行や企業であり、あるときは予測を外した

経済評論家や他のマスコミだった。

おれはそういう記事を作りながら何の疑いもなく生きていて、状況を変えるアイディアを

考えるわけでもなく、批判と称して実は愚痴をこぼすだけで、具体的には何もしていなかった。

つまり、状況に満足していたのだ。


====================

周囲に起こっていることは、自分は悪くなくて、

誰かが悪くて、その人が解決すべきだ。。。

ついつい、そんな風に思いがちですが、

その場の環境を作っているのは、自分も含まれます。

その環境に問題があるのならば、自分も何ができるか、

実際に行動をするという視点から発言し、

本当に行動していかないと、新しいものは生み出せない。


そして、不満を持っている人がたくさんいるようで、

何も変わっていないのは、

実は、愚痴を言うけれども、その状況を受け入れており、

変えるつもりはないのだと思います。

ここ1~2年、私の中でもやもやしていたものが、

すっきりした。

そんな感じのシーンでした。

自分も人のせいにしていること多いな。深く反省です。


また、コミュニケーションの中で、日本語は主語を明確にして話をしないので、

誰の責任で、何を行うのかはっきりしていない。

それを当り前のように思っているということも、

ときどき、会議や会合などで感じていることでした。


なぜ、何も決まっていない会議で、みんな満足するのだろう。

私はこういうことを不思議に思っていたのです。


そうか、誰もそれが不思議ではないのか。

不思議だと思ったこともないのか。


そして、若い人たちが不満に思っていること、

なかなか、わからないこともありましたが、

これはこういうものだという、既成概念をもっていることが

わからないネックなのだということもわかりました。


コミュニケーションしようと、心から思わないと、

交わりもできないのですね。

交わりができないならば、理解することも不可能です。

すとんと心に落ちました。


たくさんの気づきがあった小説でした。

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Category: 読書日記

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